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仙台高等裁判所秋田支部 昭和63年(ネ)11号 判決

控訴人 青森県

代理人 今泉秀和 菅原文人 梅津侃二 佐藤清夫 福田庄一 斉藤信一 ほか二名

被控訴人 太田清二 ほか一名

主文

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。

被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実

控訴人は主文と同旨の判決を求め、被控訴人らは、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は原判決事実摘示のとおりであり、証拠の関係は原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

理由

一  被控訴人両名の地位、本件事故の発生及びその態様並びに本件橋梁の構造及び設置・管理の状況についての認定・判断は、次に補正するほか、原判決理由第一項ないし第四項記載の説示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決一〇枚目表示末行及び同丁裏七行目の各「<証拠略>」をいずれも「<証拠略>」と改め、同八行目の「<証拠略>」の次に「<証拠略>」を加え、同九行目の「<証拠略>」を「<証拠略>」と改める。

2  同一一枚目表八行目の「あつた。」を「あつたが、途中事故等がなければ、約四〇キロメートル先にある右寮の門限に間に合うだけの時間的余裕があつた。」と改め、同丁裏末行の「進んだ」の次に「約二二・五度の」を加え、同一二枚目裏末行の「と証言している」を削除し、同一四枚目裏三行目の「あるから」の次に「、右供述は」を加え、同一五枚目表三行目の「西側」を「東側」と訂正する。

3  同一六枚目表六、七行目の「大きいことから」を「大きいため」と、同一九枚目表一行目の「左回り」を「右回り」と各訂正し、同一七枚目表六行目の「同証人も」から同丁裏一行目の「推認される。」までを次のとおり改める。

「<証拠略>(控訴人及び建設省土木研究所による計算結果)によれば、右減速度変化は多くとも時速約二キロメートルと推定されていることが認められるほか、前記認定のとおり本件事故後湖底から引上げられたときの本件自動車のギアは三段目であつたこと等に徴すると、右減速度変化については未だ時速約二五キロメートルとは推定し難い。もつとも、原判決添付図面1の〈5〉の持出成木に衝突した際に生じたと推認される本件自動車の前部の凹損が一番深い個所で〇・三メートルに達していることは前記認定のとおりであることに鑑みると、右減速度変化は相当程度のものであつたことが容易に推認できるが、後記二で判示するとおり右減速度変化を具体的数値で認定しなくとも本件橋梁の設置又は管理の瑕疵についての判断が可能であるので、右数値の認定を差控えることとする。なお付言するに、原審証人若木吾朗は、本件事故後湖底から引上げられたときの本件自動車の速度計が時速六〇キロメートルを示して停止していたと、成田次長から聞いていた旨供述しているが、右供述は伝聞に係るものである上、本件事故直後に作成された実況見分調書(<証拠略>)に右速度計に関する記載がないことに照らすと、右供述から直ちに右速度計が時速六〇キロメートルを示していた事実を認定することはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。」

4  原判決二〇枚目表六行目の「<証拠略>」の次に「<証拠略>」を加え、同じ行の「<証拠略>」を「<証拠略>」と訂正し、同七行目の「<証拠略>」を削除する。

同丁裏五行目全部を、「幹線道路となつていた。しかし、本件事故から一年一〇か月後の昭和五四年一〇月二日に実施された原審第一回検証の当時には、本件橋梁の近くにこれに沿つて鉄骨コンクリート製の近代的な“新十三橋”が完成し利用に供されていた。」と改める。

5  同二二枚目裏四行目の「それ以前は、」の次に「当初、」を加え、同七、八行目の「右自転車競技のために車道全面に縦板を敷いた後は」を「その後遅くとも昭和五一年一一月三日以前に本件橋梁車道部分の中央線より西側に四枚、東側に五枚の縦板が貼られ、かつ、本件事故現場付近の待避所部分には全面的に縦板が設置され、それ以後右車道は」と訂正し、同末行の「なつた。」の次に「しかし、自動車を徐行運転していれば、たとえスリツプしても、直ちにブレーキを掛けてタイヤをロツク制動することにより右車止めで十分に停止することができた。」を加え、同二三枚目表三行目及び四行目の各「徐行運転の看板」をいずれも「『“橋の上は滑る”徐行運転』と朱書した看板(ただし、交通安全協会市浦支部と市浦村が設置したもの)」と改め、同二四枚目裏五行目の「工事が」の次に「本件事故によるものを含めて」を加え、同六行目の「ならない。」の次に「しかしながら、本件事故前に発生した右各事故のうち、自動車が本件橋梁から転落したことが判明している二件は、いずれも飲酒運転や暴走により惹起されたものである。」を加える。

二  以上の認定事実に基づいて、公の営造物である本件橋梁につき、国家賠償法二条一項にいう設置又は管理に瑕疵があつたか否かを検討する。

本件に即しつつも右の点を一般的に言うならば、当該橋梁の構造、用法、場所的環境、交通情況等諸般の事情を総合考慮して、橋梁がその用途等に応じ通常有すべき安全性を欠いているかを具体的、個別的に判断してこれを決すべきである。

1  まず構造についていうと、木造である。木造の橋は広い幅員をとるのが容易ではなく、また外力に対する耐性が弱い。欄干において特にこれが著しく、その上橋板が濡れている場合には滑り易い。

このような構造上本来的な欠陥を有している木造橋といえども、通行の用に供されるものである以上、一人ないし数人の力や体重で欄干等が倒壊、崩落し、或いは自動車等の重みで橋板が陥没したりしたのであれば、それは通常有すべき安全性を欠いていることになるが、本件はそのような事案ではない。

初めに遡つて、木造にしたことの是非も問題となりうる。しかし、本件橋梁が架設されたのは昭和三四年頃であり、当時における地方自治体の財政力は本件事故の生じた昭和五二年頃と比較しても格段に劣つており、且つ、自動車社会到来の時期や規模も的確には予測されていない時期であつた。加えて、場所的環境の問題とも関連することであるが、本件橋梁は津軽半島西海岸にあつて日本海につながつている十三湖の開口部に架設されたものであり、いわば僻遠の地にある橋である。かかる場所に木造の橋を架設したのも、当時とすればやむをえないことであつたというべきである。

2  本件橋梁の設置場所は右のとおりであり、これは十三湖にかかる唯一の橋である。これを渡ることができなければ、十三湖北岸の市浦村と南岸の車力村との間の通行のためには、渡し舟に頼るか、遠く湖岸を一周するほかないことになる。

木造である本件橋梁は、右1で検討した如く、本来自動車交通の用には適さないものである。そのため、これが架設されてから二〇年を経ずして昭和五〇年代の初め頃から、鉄骨コンクリート製の前記「新十三橋」の建設が計画され実施段階に至つていたが、これが完成するまでは関係住民の利便を損わないために自動車の通行を許容していた事情は諒解することができる。

3  右1、2で検討したところから明らかなとおり、本件橋梁は自動車が通常の速度で通過するのに適しておらず、そのことを予定した営造物でもない。その各入口には徐行規制の標識のほか、「“橋の上は滑る”あなたの命を守るため“徐行運転”」と記載(“ ”内は朱の太字)した看板が設置され、利用者の注意を喚起していたが、このような標識等がなくても、平均幅員約四メートルの木造橋を渡る以上、自動車運転者としては大幅に減速の上、スリツプなどしないように細心の注意を払つて走行しなければならないのは当然である。徐行とは機に臨んで直ちに停止しうる範囲内の速度で運行することであるが、全長約四〇〇メートルの本件橋梁は終始徐行したとしても三分未満で通過できる計算であり、湖岸を迂回する場合に比して遥かに短かい時間しか要しないのであるから、決して難きを求めるわけではない。

4  照明設備は橋の途中にはなかつたが、徐行運転の励行を図るにはむしろ暗い方が適当であるとも考えられる。しかも本件は通路の明暗とは無関係の事案であるから、右の点は瑕疵として問題の外である。

5  被控訴人らは、本件橋梁橋板上に設置されていた車止めが脆弱でスリツプ防止の用をなさなかつたと主張する。しかし、この車止めの主たる目的は東側の歩道部分を確保するところにあり、スリツプ防止は副次的な作用でしかないことは、本件橋梁の西側(海側)ではこれが欄干に密着して設置されていることに徴して明らかである。又、そのスリツプにしても、通常速度での運行から生ずる強大な力を伴つたスリツプへの対応を予定したものではなく、あくまでも徐行運転を前提としているにすぎないのである。

同じく、本件橋梁が国民体育大会の自転車競技に用いられた際に橋板の全面に縦板が貼られ、それ以来走行自動車は速度を上げ易くなつたとの主張もあるが、このように改良されて走行し易くなつたことは、決して本件橋梁の用法に変更を及ぼしたり運転者の徐行義務を軽減することにつながるものではない。改良を加え利便にすればするほど、これと共に営造物管理者の予見義務や危険防止義務が増大することにはならないと考える。

6  冒頭1で判示したとおり、橋板が濡れている場合には滑り易いのであるが、そのような場合でも、タイヤに滑り止め措置をして徐行運転をしさえすれば、スリツプそのものを防止しうるのは容易であり、たとえ多少滑つたとしても車止めを壊したり動かしたりするほどの事態とはならない筈である。右の如き運転をしてもなおスリツプが生じるほどの傾斜が存在するなどの事由は見当らない。

以上のとおり、本件橋梁はその構造、場所的環境、交通情況からして徐行を基本とした慎重運転を用法としている営造物であり、この用法範囲に止まつている限り、通常有すべき安全性を備えているということができる。

しかるに、亡清秀は、本件自動車に乗つて時速約四二キロメートルを超える速度で(本件自動車が原判決添付図面1の〈5〉の持出成木に衝突した際の速度変化と本件事故直前にブレーキが掛けられたことによる減速を考慮すると、時速約四二キロメートルを相当上回るものと推測できる。)本件橋梁を走行中、右に約二二・五度曲がつているカーブの直前でブレーキを掛けたため、本件自動車を滑走させ車止めや欄干を破壊して本件橋梁から前記湖に転落し溺死したのであつて、本件事故は、本件橋梁の用法範囲外の被害者側の一方的過失に起因するものというべきである。したがつて、本件橋梁の設置又は管理に瑕疵があつたとは認められない。

なお、本件事故発生前にも本件橋梁からの自動車転落事故が二件あり、また、本件橋梁の車道に縦板が約九枚敷かれた以後事故が集中したことは前記認定のとおりである。しかし、この点は、本件橋梁の設置又は管理の瑕疵に関する前記認定判断に消長を来たすものではない。なぜならば、前記認定の事実関係によれば、右二件の転落事故も本件と同様本件橋梁の用法範囲外の被害者側の一方的過失に起因するものというべきであるし、また、本件橋梁の形状、構造物を前提とする限り、たとえ本件橋梁の設置・管理につき請求原因3の(二)において被控訴人らの主張するような措置を講じたとしても、本件の如き無謀な運転による本件橋梁からの自動車転落事故を防止することは不可能といわざるをえず、さればとて、前記の如き場所的環境にある本件橋梁において車両の通行を全面的に禁止しえないことも明らかであり、他方、本件橋梁を自動車で走行する場合、徐行する限り、万一スリツプしても、事故の発生を回避することは十分可能であるからである。

三  以上の次第で、被控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却すべきである。

よつて、右請求を一部認容した原判決中控訴人敗訴部分を取消し、被控訴人らの請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小林啓二 田口祐三 飯田敏彦)

【参考】第一審(青森地裁弘前支部 昭和五三年(ワ)第一三九号昭和六三年一月二八日判決)

主文

一 被告は、原告太田清二に対し、金二二〇万四五一六円及びこれに対する昭和五二年一二月三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二 被告は、原告太田つゑに対し、金二一四万四五一六円及びこれに対する昭和五二年一二月三日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三 原告らのその余の請求を棄却する。

四 訴訟費用は、これを五分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五 この判決は、第一項、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一 請求の趣旨

1 被告は、原告ら各自に対し、金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五二年一二月三日から支払済まで年五分の割合による各金員を支払え。

2 訴訟費用は被告の負担とする。

3 仮執行宣言

二 請求の趣旨に対する答弁

1 原告らの請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

3 仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一 請求原因

1 原告両名の地位

原告太田清二は、訴外亡太田清秀(以下、「亡清秀」という。)の父、原告太田つゑは、亡清秀の母である。

2 事故の発生

亡清秀は、昭和五二年一二月二日午後八時四八分ころ、普通乗用自動車を運転し、県道鯵ヶ沢蟹田線の青森県北津軽郡市浦村大字十三字通行道番外地所在の通称十三橋(以下、「本件橋梁」という。)上を、市浦村方面から車力村方面に向かって進行中、本件橋梁より十三湖に落下し、同日午後九時ころ溺死した(以下「本件事故」という。)。

3 被告の責任

(一) 本件橋梁の形状

本件橋梁は、被告が設置しかつ管理している構造物であり、全長約三九五メートル、幅約四メートル(橋幅は自動車等の交差場所があるため一定しない)で、南方よりみて西方に大きく湾曲している木造橋である。南方より見て橋上右側約一メートルが歩行者道として車道と区分され、右区分線上に縦約二〇センチメートル、横約一五センチメートルの木材(以下、「車止め」と言う。)が設置されている。

(二) 本件橋梁の設置又は管理の瑕疵

本件橋梁の設置場所は、寒冷地ではあるが冬期間の降雪量の少ない十三湖の河口であるため、冬期間の橋上の積雪は少ないが、常時凍結状態となり、自動車の通行には非常に危険な場所となる。従って、本件橋梁を設置管理している者は、冬期間の橋上の凍結による自動車等の滑走による橋梁より十三湖への落下等の事故を防止するために、車止め、滑り止め、強固な欄干の設置、夜間の照明、信号燈等の十分な設置、自動車運転者等に対する適切な指示の標識等の設置等をなすべき義務がある。しかるに、本件橋梁の管理者である被告は、自動車等の滑走等による事故の防止設備等を何ら講じないばかりか、橋上の車道に木板を自動車の進行方向に沿って敷くなどより滑走しやすい状態にし、また、欄干も木造で、その構造、工作も虚弱で自動車等のわずかな接触でも破損する状態であるのに放置し、更に、本件橋梁上の自動車・歩行者通行区分線上に設置された車止めが橋床より離れていたのをそのまま放置するなどしていた。

(三) 責任原因

本件事故は、管理者である被告の前記のような設置又は管理の瑕疵により、亡清秀運転の自動車が滑走し、車止めもその用を果たさず、欄干もわずかな接触で破損したために発生したものである。従って、被告は、国家賠償法二条一項に基づき、本件事故によって生じた後記損害を賠償すべき責任がある。

4 損害

(一) 亡清秀の逸失利益

亡清秀は、本件事故当時満二二歳の健康体で、弘南バス株式会社に勤務し、右会社の停年は五七歳であり、生存していれば以後三五年間は稼働し得たものである。亡清秀の本件事故当時の年収は金二一一万五一八四円であり、それまでの昇給等の経過等から毎年三パーセントの増額が認められるところ、生活費五〇パーセント及びホフマン式計算方法によって算出した中間利息を控除すれば、亡清秀の逸失利益は金三三四六万六九五九円となる。また、三五年後の退職金は金一五〇〇万円を下らないが、この現在価額は金五四五万四〇〇〇円であり、本件事故により支給された死亡退職金一〇五万四〇〇円を控除すれば、損失退職金は金四四〇万三六〇〇円となる。

(二) 亡清秀の慰謝料

亡清秀が本件死亡事故により受けた精神的、肉体的苦痛は甚大であり、これに対する慰謝料としては金四〇〇万円が相当である。

(三) 相続

原告らは、亡清秀の父母として、同人の本件事故による損害賠償請求権の二分の一ずつを各相続した。

(四) 原告らの慰謝料

原告らは亡清秀の父母として、同人の死亡により甚大な精神的苦痛を蒙った。これに対する慰謝料は各自金二〇〇万円が相当である。

(五) 葬儀費用

原告太田清二は、亡清秀の死亡につき葬儀を行い、その費用は金四〇万円を下らない。

5 よって、被告に対し、原告太田清二は金二三三三万五二七九円、原告太田つゑは金二二九三万五二七九円の各損害賠償請求権を有するが、本訴において、原告ら各自は、被告に対し、右各金員のうち金一〇〇〇万円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である昭和五二年一二月三日から支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二 請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は不知。

2 請求原因2の事実のうち、死亡時刻以外の事実は認め、死亡時刻は不知。

3 請求原因3の(一)の事実は認める。

4 請求原因3の(二)の事実のうち、本件橋梁の設置場所が冬期間降雪量の少ない十三湖の河口であることの事実は認めるが、その余は事実は否認する。

被告の本件橋梁の設置又は管理に瑕疵はない。即ち、

(一) 本件橋梁付近の気温等について

本件橋梁の所在する市浦村相内消防分署における気象観測によれば、昭和五二年一二月において、平均気温が零度以下の日は八日、昭和五三年一月においては一八日に過ぎないことから、本件橋梁上が常時凍結状態になっているわけではない。また、本件事故当日である昭和五二年一二月二日は、最高気温三・七度、最低気温〇・八度、平均気温二・四度であって、本件橋梁は凍結状態ではなかったことが明らかである。

(二) 本件橋梁の安全性について

被告は、本件橋梁を徐行すべき場所に指定し、かつ、その標識を完備している。従って、徐行を前提とする限り、前記本件橋梁上の凍結状態に鑑み、本件車止めで十分に転落防止機能を果たしている。また、欄干は、木製橋梁の場合、材質の組合せ、維持管理等に照らして木製であるのが合理的であるし、そもそも欄干は、交通法規に違反して走行する自動車の転落防止のためにあるのではなく、歩行者の安全と自動車の走行誘導を目的としたものであり、欄干には、視線誘導標及び反射シールが設置され、車両等の正しい走行を誘導しており、十分な安全走行を図っている。更に、本件橋梁の両岸には、いずれも一三五ワットのナトリウム燈が設置されており、夜間ライトを点灯のうえ徐行する限りは、夜間の交通量の少なさや前記視線誘導標、反射シールの設置と相まち、夜間照明としては必要かつ十分である。従って、本件橋梁には十分な安全設備を施しているものである。

(三) 本板の敷き方について

橋梁上の木板を通行方向と直角に設置した場合、平坦性の保持に困難をきたし、車両による振動・衝撃等により橋梁が痛み易くなり、ひいては交通の安全を阻害するおそれが出てくる。従って、本件のような平坦で徐行を前提にした木造橋梁の場合は、進行方向に沿って木板を敷くのが合理的である。

(四) 本件橋梁の管理

被告は、本件橋梁について過去一〇年間に合計約五六〇〇万円の維持・修繕費をかけ、昭和五二年度は本件事故前日までに金九八〇万円の維持・修繕費をかけている。特に、本件事故は、被告が修繕工事を施した箇所において、しかも完成した直後に発生しているものである。また、本件事故当日の午後二時には、被告は本件橋梁について安全確認の為の道路パトロールを実施し、車止めに異常のないことを確認している。従って、本件橋梁の管理についても万全を尽くしているものである。

5 請求原因3の(三)の事実は否認する。

本件事故は、亡清秀が、冬期間にチェーンやスパイクタイヤ等の滑り止め装置を装着せず、徐行区域であるにもかかわらず、雪のちらついていた本件橋梁上を時速四八キロメートル以上の速度で暴走運転したことにより、本件事故現場付近の湾曲部分に差し掛かった際、ハンドルを切り損ねて惹起したものであり、亡清秀の一方的過失による自損行為であり、被告に責任はない。

6 請求原因4の事実は不知。

7 請求原因5は争う。

三 抗弁

過失相殺

仮に本件橋梁の設置又は管理に瑕疵があるとしても、本件事故は、亡清秀が、冬期間走行の際はチェーンやスパイクタイヤ等の滑り止め装置を装着すべき義務があるのにこれを怠り、更に、徐行区域であるにもかかわらず、本件橋梁上を時速四八キロメートル以上の速度で暴走運転したという徐行義務違反などの重大な過失に基づいて惹起したものであり、損害賠償額の算定にあたっては亡清秀の過失を十分斟酌すべきである。

四 抗弁に対する認否

抗弁事実は否認する。

第三証拠<略>

理由

一 原告両名の地位

<証拠略>によれば請求原因1の事実が認められる。

二 事故の発生

請求原因2の事実のうち、亡清秀が、昭和五二年一二月二日午後八時四八分ころ、普通乗用自動車を運転し、本件橋梁上を、市浦村方面から車力村方面に向かって進行中、本件橋梁より十三湖に落下し、溺死したことは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば亡清秀は同日午後八時五〇分ないし午後九時ころに死亡した事実を推認することができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三 本件事故の態様

1 そこで、本件事故の態様について検討するが、まず、その前提となる本件事故発生の直前及び直後の情況についてみるに、<証拠略>の結果を総合すれば次の各事実が認められ、あるいは推認される。

(一) 青森県五所川原土木事務所勤務の今幸雄は、本件事故当日の昭和五二年一二月二日午後二時ころ本件橋梁をパトロールしたが、車止め、敷板等に破損は無かった。

(二) 亡清秀は、昭和五二年一二月二日午後八時三〇分ころ、青森県北津軽郡市浦村大字市浦字相内一八三番地一号所在の伯父佐々木清一方から、普通乗用自動車(以下、「本件自動車」と言う。)を運転し、県道鯵ヶ沢蟹田線を通って、同県西津軽郡鯵ヶ沢町字本町八六の二所在の自宅・弘南バス株式会社鯵ヶ沢営業所男子寮に帰宅するため出発した。なお、同寮の門限時刻は午後一〇時三〇分であった。亡清秀は、休日には右佐々木清一宅によく遊びに行っており、その際、本件橋梁を何回も通行しているものである。

(三) 本件橋梁から数キロ離れているが、最も近い気象観測所である青森県北津軽郡市浦村大字相内字相内二四六―四所在の津軽北部消防事務組合市浦分署における、本件事故当日の気象状況は、平均気温二・四度、最高気温三・七度、最低気温〇・八度(同日一九時に記録)、積雪一センチメートル、平均風速二・八メートル、最大風速四メートルであり、本件事故時間前後の状況は二〇時が気温一・五度、風速三メートル、二一時が気温二・四度、風速四メートルであった。亡清秀が伯父佐々木清一方を出たときは雪混じりの雨が降っていたこと、本件事故直後の午後九時三〇分ころ、本件現場はみぞれが降っており、風も強く、本件橋梁全体がかなり濡れていたことに照らし、本件事故当時の事故現場における天候は、気温約二度前後、風速約三ないし四メートル、みぞれで風が強く、本件橋梁全体が濡れていたものと推認される。

(四) 本件事故発生直後の本件橋梁の事故現場付近の状態についてみるに、本件橋梁の相内側入口から約二五〇メートル十三地内側に進んだ右曲がりのカーブとなっている地点付近の東側(本件自動車の進行方向左側)の欄干が、十三地内方向に約一〇・八八メートルにわたって破損しており(別紙図面1の「欄干の破損部」)、右破損した欄干に沿って設置してある車止め用角材のうち、前記カーブの地点から十三地内方向に二本目の角材(同図面の〈1〉、以下「〈1〉の車止め」と言う。)の東側(歩道側)の上角が削り取られたようになっており、次の三本目の角材(同図面の〈2〉、以下「〈2〉の車止め」と言う。)は西側(車道側)の上角が削り取られたようになり、東側斜めに傾き、車道からボルト二本が少し浮き上がった状態であった。また、同図面〈1〉の車止めの北側付近に橋の中央から約三〇センチメートルのスリップ痕が残っていた。更に、前記カーブの地点から十三地内方向に二本目の東側持出成木(同図面の〈4〉、以下「〈4〉の持出成木」と言う。)は、欄干付近から下側に折損しており、右持出成木上の持出支木は欄干と結合している部分が破壊され、持出成木との結合部分を中心に反対側(湖側)に回転した状態であり、次の三本目の東側持出成木(同図面の〈5〉、以下「〈5〉の持出成木」と言う。)は橋軸方向に概ね直角に折損し飛散していた。

なお、前記カーブから十三地内方向に四本目の車止用角材(同図面の〈3〉、以下「〈3〉の車止め」と言う。)は、本件事故当日、本件自動車がレッカー車により湖底から引き上げられた後である午後一一時五〇分ころには、橋面から剥離し横転している状態であったことが認められるが、本件事故直後の午後九時から午後九時三〇分の間に、長利勝雄がたまたま本件事故現場を通行した際に欄干が壊れていたため下車して確認したところ、車止めに衝突の痕跡があったものの、車止め自体は直線状をなし橋面から離れて横転しているような状態ではなかったと証言していること、金木警察署十三警察官駐在所勤務の佐藤昭雄巡査が通報により午後一〇時一五分ころ現場に赴いた際も、欄干は外れていたものの、その付近の車止めのうち同図面〈2〉の車止めはボルト二本が少し浮き上がっていたが、その他は一直線状をなしており橋面から離れた状態ではなく、同図面〈2〉の車止めの上角が大きく削られていることもなかったことを目撃している点に照らし、同図面〈3〉の車止めは、本件事故直後には橋面から外れ横転している状態にはなっておらず、また、同図面〈2〉の車止めの上角も大きく削られておらず、右の損傷等はその後の本件自動車の捜索、ことにレッカー車による引き上げ作業中に何らかの理由により惹起されたものと推認するのが相当である。

(五) 亡清秀が本件事故当時運転していた本件自動車は、普通乗用自動車(トヨタコロナ・ハードトップRT93型)で、車両重量九八〇キログラム(総重量一二五五キログラム)、長さ四・二七メートル、高さ一・三六メートル、幅一・五七メートルである。湖底から引き上げられた時の本件自動車の状態は、ギアーは三段目(可変速範囲は時速約二〇キロメートルから約一三〇キロメートル)に入っており、タイヤはスパイク、チェーン等の滑り止め装置の装着されていない夏用ラジアルタイヤであり、前輪は右に大きく転把されており、破損状況は、前部が一番深いところで〇・三メートル凹損しており、ボンネットは浮き上がり、右側面中央付近も縦状に凹損しており、備え付けの時計は八時四八分で止まっていた。

なお、後部ガラスも壊れていることが認められるが、これは引き上げ作業中に壊れたものと認められる。

(六) 本件事故後の本件自動車の湖底定着位置について検討するに、本件事故直後に舟で事故現場付近を捜索した若山恭次が、本件橋梁の前記カーブの地点から十三地内方面に向かって三番目の橋脚(別紙図面1の「橋脚」)の東側に直角に横付けになるように本件自動車が沈んでいるのを発見したこと、引き上げ直後の本件自動車の右側面中央付近は前記のとおり縦状に凹損しており、本件自動車の外板は厚さ約〇・六ミリメートルの薄い鋼板でできているためさほど強い力でなくても変形すること(<証拠略>による。以下「<略>」と言う。)に照らし、右凹損は本件自動車が右橋脚に接触した際に生じたものと考えるのが相当であって、他に本件事故の態様においては損傷の原因が見当たらないことなどから、本件自動車は同図面1の「橋脚」の東側に直角に沿うように同図面1の「推定定着位置」の湖底に沈んでいたことが推認される。

これに対し、証人福岡礼次郎は、それより更に南側にあった旨証言するが、同人は直接本件自動車の引き上げ現場にいたわけではなく、後で現場で作業していた者に聞いただけであるから直ちに措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(七) 本件自動車の本件橋梁から転落した直後の湖面着水地点について検討するに、本件事故当時の事故現場地点における潮流は、東から西に向かって南へ約四度ずれた方向に毎秒約〇・五メートルの速度で流れていたと推定されること(<証拠略>による。以下「<略>」と言う。)、一般に自動車の気密性は非常に良いことから、自動車が着水してから車内に水が浸入し沈むまでに何分かの時間がかかること(<略>)、本件事故当時、本件自動車の窓はすべて閉まっていたことなどから、本件事故の際も、本件自動車は、本件橋梁から転落し着水した後、沈むまで数分間の時間がかかり、その間、潮流に乗って東から西に流されたことが推認される。従って、本件自動車の着水地点は、前記湖底の着座地点より、本件橋梁にほぼ直角の西側の位置であると推定される(別紙図面1の「推定着水位置」)。

(八) 本件事故発生時は、ほぼ満潮時で、本件橋梁の表面から水面までの高さは約三メートル、水深も約三メートルであった(<略>)。

(九) 亡清秀の死体は昭和五二年一二月三日午前六時三〇分前ころ発見されたが、そのときの死体の状態は、鼻から右目にかけての外傷と下唇の擦過傷が主な負傷箇所であり、その他は殆ど負傷していない状態であった。

2 次に、以上の各事実に基づき、本件事故の具体的状況を検討する。

(一) まず本件自動車の転落コースを検討するに、本件自動車は本件橋梁上を相内側から十三地内側に進行して本件現場に差し掛かったこと、本件事故当日の午後二時ころには本件橋梁上には外見上の異常はなかったこと、本件事故直後の事故現場の状況は、前記カーブの地点から十三地内方面に欄干が約一〇・八八メートルにわたり破壊され、別紙図面1の〈2〉の車止めが東側に少し斜めに傾き、同図面〈1〉〈2〉の車止めに若干の擦過痕があり、同図面〈4〉の持出成木が欄干の部分から折損し持出支木も破損し、同図面〈5〉の持出成木は欄干の部分から折損し飛散していること、本件自動車の前部が凹損していることなどから、本件自動車は、本件事故現場である前記カーブを右に曲がることができず、同図面〈1〉〈2〉の車止めに乗り上げて進行し、欄干に衝突してこれを破壊し、更に、同図面〈4〉の持出成木の上を通過し、その際、同持出成木及び支木を折損し、次いで、同図面〈5〉の持出成木に自動車前部を衝突させ、その結果、同持出成木を折損飛散させて十三湖に転落したものと推認するのが相当である。そして<証拠略>によれば、一般に物体は慣性の法則に従い、別方向からの外力が加わらない限り以前からの運動を継続するため、本件自動車が車止めに衝突した際、ノーブレーキの状態(タイヤがロックされておらず回転している状態)であったならば、車止めの高さは後記のとおり車道から約一五センチメートルであり、タイヤの半径はそれより大きく、タイヤの摩擦係数も大きいことから、自動車は極めて低速度においても容易に車止めを乗り越え、進行方向と垂直方向に何等の力も加わらずに直進運動し、同図面〈5〉の持出成木には衝突しないこと、従って、本件自動車が同図面〈5〉の持出成木に衝突している事実に照らすと、車止めに衝突した際、ブレーキが掛かった状態(タイヤがロック制動されている状態)であったと考えるのが合理的であり、また、前記のとおり本件事故現場の同図面〈1〉の車止めの北側の車道上には約三〇センチメートルのスリップ痕があったこと、引き上げられた本件自動車の前輪は右に転把していたことなどから、本件自動車は右に曲がろうとしたものの曲がりきれずに同図面〈6〉の車止め付近に衝突する直前にブレーキが掛けられ、同車止め付近に衝突した後、右に約一〇度カーブし横滑りした後、同図面〈1〉〈2〉の車止めを乗り越え、その付近から転落し始め、その際、同図面〈4〉〈5〉の持出成木に衝突し、更に、別紙図面1の「推定着水位置」まで約八メートル飛翔したと推認することができる。

(二) そこで右認定事実に基づき、本件自動車の事故当時のスピードについて検討する。まず、<証拠略>によれば、本件自動車は、本件橋梁から落下し始めてから着水するまで飛翔距離約八メートル及び橋の表面から水面までの距離約三メートルを移動したことから、そのエネルギー量を計算すると、本件自動車の飛翔終了(着水時)の速度は時速約三五キロメートルと推定できることが認められる。次に、本件自動車が別紙図面1の〈5〉の持出成木に衝突した際の速度変化について検討するに、<証拠略>は、対壁実車衝突実験の結果や持出成木の曲げによる破壊強度から、その減速変化を時速約二五キロメートルと推定しているが、同証人も自認するとおり、右衝突実験は対壁即ち面に対するものであって、本件事故のように対角材即ち線状の物に対するものではなく、従って、同程度の自動車の変形があるとしても、角材によるエネルギーの吸収は壁に比して小さいものと考えられ、右速度変化を直ちに本件に当てはめられないこと、また、同図面〈5〉の持出成木の本件橋梁への取付け方、強度が不明であるなど不確定な部分があることから、右減速度変化は、相当程度のものであったものの、時速約二五キロメートルよりも少ないものと推認される。更に、本件自動車が、車止めに衝突したことによる自動車の減速について検討するに、<証拠略>によると、時速約七キロメートルであることが認められる。最後に、本件橋梁の欄干を破壊したことや同図面〈4〉の持出成木の支木を折損したことによる速度変化について検討するに、本件自動車には、右欄干や右支木を破損したことによると考えられる損傷が殆どないこと、運転車である亡清秀は顔面以外に殆ど負傷していないこと、欄干部分は木製であり、橋梁との接合部分や据え付け角度により容易に破壊され得たであろうこと、同持出成木の支木は欄干との結合部分の据え付けボルトのみ破壊されていることなどより、さほど大きな速度変化はなかったものと推認される。以上によれば、本件自動車が本件事故現場に差し掛かったときの速度は、少なくとも時速約四二キロメートル以上であったものと推認するのが合理的である。

(なお、<証拠略>によれば、車止めを固定していたボルトが破損していたことを前提とする計算をも行っているが、事故前のボルトの状態が不明であるから、右の点は考慮しないこととする。)

(三) これに反し、<証拠略>によれば、同証人は、本件事故の態様について、本件自動車は、まず別紙図面1の〈6〉の車止めに衝突し、やや進路を右向きに変え、自動車左側が同図面〈1〉の車止めを乗り越えて歩道部分を進行し本件橋梁の欄干部分に衝突し、その際、自動車下部のデファレンシャルにより同図面〈1〉の車止めの歩道側を損傷させ、引き続き、自動車下部により同図面〈2〉の車止めの車道側を損傷させ、更に、自動車前部左側の前照灯付近が同図面〈4〉の持出成木の上の欄干束柱に衝突し、最後に、同図面〈3〉の車止めが本件橋梁にナットで固定されていなかったため、自動車右前車輪が同車止めで止まらず乗り越えて進行し、自動車前部中央付近が同図面〈5〉の持出成木の木の欄干束柱に衝突し、同持出成木の上を通過して転落したものであると推定している。しかし、右推定は、本件事故により同図面〈3〉の車止めが本件橋梁から離れて横転したこと及び同車止めがその際削られたことが前提となっているが、前記三1(四)において認定したとおり、本件事故直後においては同車止めは本件橋梁から離れて横転していなかったし、大きな損傷もなかったものと認められ、前提事実に誤認があること、同図面〈4〉の持出成木の上の欄干束柱に衝突したとされる自動車前部左側の前照灯付近には損傷の跡がなく不自然であること、<証拠略>によれば、本件自動車のタイヤがロック制動されている状態では、自動車は車止めに沿ってずれ、その際、自動車全体は左回りの回転運動をなすことから、自動車のデファレンシャル部分が同図面〈2〉の車止めに接触したとは考えにくいことなどの不合理な諸点が認められる。従って、<証拠略>の内容は独自の見解を主張するものであって、合理的なものとは認められず措信できない。

(四) 以上を総合すると、本件事故の態様は、結局、次のようであったものと推認される。即ち、亡清秀は、昭和五二年一二月二日午後八時四八分ころ、伯父佐々木清一方から自宅(寮)に帰るため、タイヤにスパイク、チェーン等の滑止め装置の装着されていない本件自動車を運転し、県道鯵ヶ沢蟹田線を通り、気温約二度前後、みぞれで風が強く、全体が濡れている本件橋梁上を時速約四二キロメートル以上の速度で通行中、本件橋梁北側(相内側)入口から約二五〇メートル進行した地点にある右に約二二・五度曲がっているカーブの直前でブレーキを掛けたが、同カーブを曲がり切れず、同図面〈6〉の車止め付近に本件自動車を衝突させたため、右自動車は右に約一〇度カーブして横滑りし、同図面〈1〉〈2〉の車止めを乗り越え、欄干を約一〇・八八メートルにわたって破損した後、その付近から本件橋梁外に転落し始め、同図面〈4〉の持出成木の上を通過し、その際、同持出成木及び支木を折損し、更に、同図面〈5〉の持出成木に自動車前部を衝突させ、同持出成木を折損飛散させて約八メートル先の十三湖上に転落し、その結果、亡清秀は同日午後八時五〇分ないし午後九時ころ右転落地点付近で溺死したものである。

四 本件橋梁の構造及び設置・管理の状況

次に、本件橋梁の構造、設置場所、管理の状況等について検討する。請求原因3の(一)の事実及び同3の(二)の事実のうち本件橋梁の設置場所が冬期間降雪量の少ない十三湖の河口であることの事実は当事者間に争いがなく、これに<証拠略>を総合すれば次の各事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。

1 本件橋梁の設置場所等

本件橋梁は、青森県北津軽郡市浦村大字十三字通行道番外地に所在し、県道鯵ヶ沢蟹田線の同村相内地内から同村十三地内に通じる十三湖上に設置してある通称十三橋という全長約四〇〇メートル、平均幅員約四メートルの木製の橋であり、被告が設置しかつ管理している公の営造物である。本件事故当時には、十三湖上には本件橋梁しか設置されておらず、相内地区と十三地区を最短距離で結ぶ主要幹線道路となっていたことが認められる。

2 本件橋梁付近の冬期間の気候

本件橋梁の設置場所である十三湖付近は、冬期間、寒冷地ではあるが降雪量は少ないところである。本件橋梁から最も近い気象観測所である前記三1(三)記載の津軽北部消防事務組合市浦分署における本件事故前後の冬期間の気候をみるに、昭和五二年一一月は、平均気温が零度以下の日は無く、積雪のある日も無いが、最低気温が零度以下の日が八日間あり、同年一二月は、平均気温が零度以下の日は八日(一二月一九日以後)、積雪のある日は一〇日(同日以後、うち積雪が五センチメートル以上の日は六日)、昭和五三年一月は、平均気温が零度以下の日は一八日、積雪のある日は二七日(うち積雪が五センチメートル以上の日は二四日、積雪一〇センチメートル以上の日は一六日)である。右事実から、冬期間の本件橋梁付近の一二月中旬以後の気候は、平均気温が零度以下の日が半分以上と多く、数センチメートルの積雪の日もかなり多いことが認められるところから、本件橋梁上も、常時凍結状態にあるとまではいえないが、凍結状態の日が多いことが推定される。

3 本件橋梁の形状

本件橋梁は、昭和三四年ころ架設された木製の橋で、車道は一車線で、途中には広いところで幅員約六・九メートルの車両離合用の待避場所が二箇所設置してある。相内地側入口から十三地内側へ約二五〇メートル進行した地点で右に約二二・五度曲がり、そこから更に約七九メートル進行した地点で更に右に少し曲がっているが、その他はほぼ一直線であり、その形状は概ね別紙図面2のとおりである。

4 本件橋梁の構造

本件橋梁の構造は、橋軸方向(東西方向)へ主桁が設置され、その上に直角(南北方向)に敷成木が配置され、更に、敷成木上に敷板が設置されている。また、橋面上には、両側に欄干と車止めが、それぞれ設置されている。橋面上東側に幅約六〇センチメートルの歩道が設置されており、その歩道と車道との間には、走行車両が歩道に乗り上げるのを防止するため、幅約一五センチメートル、高さ約二〇センチメートル、長さ約二・八八メートルの車止め用角材が、西側欄干と車道との間には前記待避場所を除いた部分に、走行車両が直接欄干に衝突するのを防止するため、幅約一五センチメートル、高さ約一五センチメートルの車止め用角材が、それぞれ一列に設置され、ボルトとナットで固定されている。車道上には、進行方向に向かって平行にほぼ隙間なく厚さ約五センチメートル、幅約二〇センチメートルの敷板が廊下状に設置してある。橋面上の両側には、高さ約八四センチメートルの欄干が設置されており、欄干の笠木、束柱、地覆木は角材が使用されている。欄干の束柱には三本目毎に、長さ約一・一メートル、横約二四センチメートル、高さ約一二センチメートルの持出成木(角材)が欄干の外側へ出るように据え付けられており、欄干の束柱と持出成木の間に持出支木を斜めに設置して欄干を補強している。本件橋梁の形状は、概ね別紙図面3ないし5のとおりである。

5 車道上の縦板の設置

本件橋梁の車道上には、前記のとおり、ほぼ全面に走行方向を敷板としての縦板が設置してあるが、右縦板は昭和五二年七月ころに本件橋梁が国体自転車競技のロードレースコースとなったことから設置されたものである。それ以前は、本件橋梁の車道には、車両のタイヤが接する走行部分にのみ縦板約二枚が敷かれており、その他の部分は横板が敷きつめられ、車輪の幅が右縦板に合わない場合は非常に走りにくくスピードも出なかったが、右自転車競技のために車道全面に縦板を敷いた後は平坦になり走り易くスピードも出し易くなった。また、右縦板は本件橋梁の車道部分のみに設置されたため、その厚さ(約五センチメートル)分だけ車止めが実質的に低くなり、車道側の車止めの高さは東側で約一五センチメートル、西側で約一〇センチメートルとなった。

6 保安設備

本件事故当時の保安設備をみるに、本件橋梁の相内側入口には、駐車禁止、徐行、制限重量八トンの規制標識、徐行運転の看板、十三地内側入口には、駐車禁止、徐行、制限重量八トンの規制標識及び橋上魚釣り禁止、徐行運転の看板が設置されていた。夜間照明は、双方の入口手前に約一三五ワットの照明灯が各一個設置されているのみであり、橋梁中央部付近は極めて暗い状態であった。また、本件橋梁上には、本件事故現場である右カーブ地点の東側に視線誘導標(デリネーター)が一個だけ設置されており、欄干の束柱には概ね三本毎に反射テープが設置されていたが、右反射テープには古い物も多くあまり役に立っていなかった。更に、本件事故当時、本件橋梁の両側に設置されている車止め用角材の中には、老朽化しているもの、大型車両が通行する際、接触するなどしたため破損したり、斜めになりボルトが緩んでいたものもある状態であった。本件事故後、本件橋梁の各入口に、視線誘導標、スリップ注意等の看板が設置され、本件事故現場付近にも両側に多数の視線誘導標、各欄干束柱に反射テープ、徐行の標識が多数設置された。

7 本件橋梁のパトロール

被告は、本件橋梁のパトロールを月四回以上実施し、車止め、欄干等の点検等をなしており、本件事故当日の午後二時ころにも、五所川原土木事務所勤務の今幸雄が本件橋梁の点検をなし、特段異常のなかったことを確認している。

8 橋の補修等

被告は、昭和三八年から昭和五二年までの間、本件橋梁に対し、維持修繕費として総額六五五五万九四〇二円、年平均約四三七万円を支出し、昭和五二年度は本件事故前日までに九八四万円を支出している。昭和五一、五二年度の工事の内訳は別表のとおりである。

9 本件橋梁上の事故

本件橋梁上においては、本件事故以前にも多数回の事故が発生している。即ち、本件事故の約一〇年前の一〇月ころ、自動車が橋上から十三湖へ転落したが運転手は助け上げられた事故、昭和五一年一〇月ころ、トラックが橋から車輪を踏み外し宙づりになった事故、同年一一月ころ、自動車が転落して運転手が死亡した事故(これによる補修工事は別表の昭和五一年度工事番号5156号)、昭和五二年一一月初めころ、本件事故現場とほぼ同一の場所において、欄干破損の事故(同表の昭和五二年度工事番号5082号)、同月中旬ころ、本件事故現場から約五メートル相内寄りの場所において欄干破損の事故(同表の同年度工事番号5083号)があり、その詳細は不明であるが、いずれも車止めすえ直し工事が含まれていることから、右の各欄干破損事故は、自動車等が本件橋梁の車止めを乗り越え橋上から転落したか、あるいは、車輪を脱落させた事故と推測されるものである。ことに、昭和五二年に縦板を設置した(同表の同年度工事番号5071号)後には、それまで殆どなかった高欄と車止めを併せて修理する工事が三件続いている点は、特異と言わなければならない。

五 本件橋梁の設置又は管理の瑕疵

以上の認定事実に基づいて、被告たる青森県に公の営造物である本件橋梁の設置又は管理に瑕疵があったか否かについて検討する。

1 橋梁について国家賠償法二条一項にいう営造物の設置又は管理について瑕疵があったかどうかは、当該橋梁の構造、用法、場所的環境、交通情況等諸般の事情を総合考慮して、橋梁がその用途等に応じ通常有すべき安全性を欠いているかどうかを具体的、個別的に判断してこれを決すべきものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、本件橋梁は、前記のとおり全長約四〇〇メートルに及ぶ木製の橋梁であり、通常の舗装道路やコンクリート製橋梁に比して滑りやすいうえ、本件橋梁の構造は、途中二箇所の右曲がりのカーブがある以外はほぼ直線道路であり、昭和五二年七月以後は、車道の全面に縦板が設置され橋面が平坦になったことから、自動車の運転者としては運転がし易く速度も出し易い形状となっており、ことに、本件事故現場は、相内側入口から約二五〇メートル一直線に進行した地点で、右に約二二・五度のかなりの急角度でカーブしている所であり、冬期間はスリップ事故等の危険が十分考えられるところである。また、冬期間における、本件橋梁上の状態は、常時凍結状態にあるとまでは言えないが、雪やみぞれで橋面が濡れ、凍結状態になっている日も多いものと推定される。従って、雪やみぞれの場合には、橋面上で自動車のタイヤがスリップしブレーキが効かなくなる虞が少なからずあり、一旦スリップ事故が発生した場合には、自動車は橋面から十三湖に転落し、運転者が溺死するなどの重大な結果を生じる虞も十分に予測されるものである。現に、本件橋梁では、最低気温が零度以下に下がる一一月以降に、本件事故以前から前記四9記載のとおり事故が多数発生しており、そのうち、昭和五二年一一月初めころには、正に本件事故現場とほぼ同一の場所で欄干破損事故が発生し、更に、同月中旬ころには、本件事故現場から約五メートル離れた場所で欄干破損事故が発生しているものであって、本件事故と伴せると約一箇月程の間に、本件事故付近で三件もの事故が発生していることになり、これらの情況に照らすと、本件橋梁はスリップによる転落事故等発生の危険性の高いことが十分予見し得たと言わざるを得ない。確かに、本件橋梁は徐行区域に指定してあり、自動車運転者は徐行義務を遵守しなければならないのであるが、これが必ずしも遵守されていなかったことは、事故の多発していることからも窺われるのである。更に、本件橋梁上の車止めは、前記四5記載のとおり、車道上に縦板を設置したため高さが約五センチメートル低くなっているうえ、本件事故当時は、老朽化したり、破損又は斜めになってボルトが緩んでいる状態のものもあり、更に、<証拠略>によれば、車両のタイヤがロックされておらず回転する状態になっていれば、極めて低速度でも容易に車止めを乗り越えてしまうことから、スリップ事故等が発生した場合、たとえ運転者が徐行義務を遵守していたとしても、自動車は容易に車道をはみ出してしまうおそれのあることが認められ、結局、本件橋梁上の車止めは、スリップによる転落事故等を防止する機能を有しないものであったと言わざるを得ない。本件橋梁の欄干も、もともと橋梁上を走行する車両が橋上から墜落するのを防止するために設置されたものではなく、本件橋梁上の事故態様や<証拠略>によれば、本件欄干は車両が衝突した場合には簡単に壊れることが認められ、予測される自動車のスリップによる転落事故等防止のためには殆ど役に立たないことが認められる。

以上のことから、本件橋梁は、交通量が少なく、構造的にも速度が出しにくい状態であった昭和三四年ころ(本件橋梁設置のころ)はともかくとして、交通量も増え、自動車の高速性能も向上し、本件橋梁上の事故も次第に増加してきていた本件事故当時のころは、以前より橋梁自体の危険性が増大してきていたものと言え、特に、昭和五二年七月ころには、車道部分に縦板を設置して、橋面を平坦にして走行し易くすると同時に実質的に車止めの高さが低くなったことから、徐行区域の指定にもかかわらず、現実にはそれ以前に比べ、本件橋梁は、スピードが出し易くなり、スリップ事故等の危険性も高くなり、スリップが原因と思われる事故も多発していたのであるから、主要幹線道路上に設置され、自動車通行にも利用していた木製の橋梁としては、スリップ事故等に備えて、横板張に戻すとか、車止めを強化するなど、走行車両が橋梁上から転落するのを防止すべき十分な安全設備を整えるか、または、時期・方法を考慮した適宜な通行制限措置(現にバス路線が廃止された事実がある。)を採るなどすべきであったものであり、前記の程度の保安設備、あるいは徐行区域の指定のみでは通常有すべき安全性を欠いていたものと言わざるを得ない。即ち、被告は、少なくとも右縦板設置の時点において、本件橋梁の安全性について根本的に検討すべきであったにも拘わらず、漫然と前記の如き保安設備、措置をしたままで、それ以上の安全対策を講じていなかったものであるから、本件橋梁の設置又は管理に瑕疵があったと言うべきである。

2 なお、被告は、本件橋梁の点検を実施し、毎年多額の維持・修繕費をかけて補修工事を実施していたことから、本件橋梁の管理を尽くしていた旨の主張をしており、なるほど前記四78の各事実を認めることができるが、これらは既に存在する前記の保安設備の点検及び補修工事に止まるものであって、これをもって本件橋梁の管理の瑕疵を免れることはできない。

また、被告は、本件事故は、亡清秀が、冬期間にチェーンやスパイク等の滑り止め装置を装着せず、徐行義務に違反して本件橋梁上を時速約四八キロメートル以上の速度で走行した結果発生したものであって、亡清秀の一方的過失によるものであり、被告に責任はない旨の主張をしている。確かに、前記三2(四)で認定したように、亡清秀にも、冬期間に滑り止め装置を装着せずに、徐行義務に違反して走行した過失は認められるが、本件事故の原因は右過失に尽きるものではなく、前記認定の瑕疵がなければ容易に防ぎ得たと認められるものであるから、右過失が被告の責任を否定するものではないと言わなければならない(但し、亡清秀の過失は後記過失相殺においてこれを斟酌する。)。

3 以上のとおりであるから、被告は亡清秀の相続人である原告らに対し、国家賠償法二条一項に基づき損害を賠償する責任を負う。

六 損害について判断する。

1 亡清秀の逸失利益

<証拠略>によれば、亡清秀は死亡当時満二二歳の健康な男子であり、約七年前より弘南バス株式会社に車掌として勤務しており、死亡前の月額基本給は金八万八〇〇円、昭和五一年一二月から昭和五二年一一月までの給与の年間総受給額は金二〇四万四四四円であったこと、同会社の労働協約によれば満五五歳に達したときに退職することとなっており、勤続年数四〇年の場合は月額基本給の六八月分が支給される規約となっていること、同会社は亡清秀の退職金として金一〇五万四〇〇円を原告らに支払っていることが認められ、これに反する証拠はない。

これによれば、亡清秀は、本件事故により死亡しなければ、満五五歳の停年までなお三三年間は稼働し得たものと推認されるから、後三三年間は死亡時の年収相当額の収入を得ることができたものと認められ、これを基礎として、右稼働期間を通じて控除すべき生活費を五割とし、中間利息の控除につきホフマン式計算法を用いて死亡時における亡清秀の給与の逸失利益を算定すると、左記のとおり金一九五七万九一八円となる。

2,040,444×1/2×19.183(新ホフマン係数)=19,570,918

また、亡清秀が、五五歳の停年まで勤務した場合の勤続年数は四〇年となり、その停年時における退職金は月額基本給の六八月分であることから、退職金の現在価格は、金二〇七万三〇三七円となり、これから現実に支給された退職金一〇五万四〇〇円を控除すると、退職金の逸失利益は左記のとおり金一〇二万二六三七円となる。

(80,800(基本給)×68×0.3773(新ホフマン係数))-1,050,400=1,022,637

従って、亡清秀の逸失利益は、給与の逸失利益額と退職金の逸失利益額の合計額である金二〇五九万三五五五円となる。

なお、原告らは、亡清秀の逸失利益を算定するに当たり、これまでの同会社における従業員の昇給の経過等から毎年三パーセントの増額を認めるべきである旨の主張をする。しかし、給与のベースアップは、景気の変動、物価上昇率、その他の経済情勢、労使の力関係等の不確定要素が複雑に絡みあって決定されるものであり、他に、今後も亡清秀が満五五歳の停年に達するまで、毎年少なくとも年三パーセントの賃金のベースアップが続く蓋然性が高いことを認めるに足りる証拠はなく、また、そのような労働協約が存在することを認める証拠もないことから、原告らのこの主張は採用することができない。

2 亡清秀の慰謝料

本件事故の態様、事故当時の亡清秀の年齢、家族構成等の諸般の事情を考慮すると、本件事故により同人の被った精神的、肉体的苦痛を慰謝するに足りる金額としては、金四〇〇万円が相当である。

3 相続関係

前記一記載のとおり、原告らは、亡清秀の父母であり、他に相続人も認められないことから、原告らは、亡清秀の右六12の損害賠償請求権の二分の一ずつである各金一二二九万六七七七円を各相続したこととなる。

4 原告らの慰謝料

<証拠略>によれば、原告らは亡清秀の両親であり、亡清秀の死亡により受けた精神的苦痛には相当なものがあったと認められ、これに本件事故の態様、家族構成等の諸般の事情を考慮すると、原告らの慰謝料としては、各金二〇〇万円が相当である。

5 原告太田清二の支出した葬儀費用について

<証拠略>によれば、原告太田清二が亡清秀の葬儀を行いその費用を支出したことが認められ、その費用は、同人の死亡年齢、職業、社会的地位等の諸般の事情を考慮して金四〇万円が相当と認められる。

6 損益相殺について

原告らは、当初、本件事故により原告らが自動車の任意保険金から保険金一一〇〇万円を受領したことを自認し損害額から控除する旨の主張をしていたものの、被告が右先行自白を援用しない間に右先行自白を撤回しており、かつ、被告から、右金額の控除について何等の主張、立証がなされていないのであるが、弁論の全趣旨として右の点を考慮するとしても、自動車の任意保険金は、保険契約者の払い込んだ保険料の対価たる性質を有し損益相殺の対象となるべき利益と解すべきではない(右のように解しなければ、保険契約者と無保険者の均衡がとれないであろう。)から、結局、当裁判所としては、右保険金額を損害額から控除しないこととする。

7 過失相殺について

最後に過失相殺の抗弁について判断する。<証拠略>によれば、亡清秀は、昭和四八年九月二八日に普通免許を取得し、昭和五二年八月九日には大型第二種免許も取得したこと、同人は、休日には伯父佐々木清一方によく遊びに行き、その際、何度も本件橋梁を通行したことが認められ、これによれば、亡清秀は本件事故現場である本件橋梁の状態を熟知しており、その危険性についてもある程度認識していたものと推認される。そして、本件事故の態様は前記三2(四)認定のとおりであり、これによれば、亡清秀は、冬期間の一二月初旬、みぞれの降る中を、チェーン、スパイク等の滑り止め装置を装着せずに、徐行区域に指定されている本件橋梁上を時速約四二キロメートル以上の無謀なスピードで本件自動車を運転したものであり、同人の運転には、徐行義務違反、安全運転義務違反等の過失が認められるものである。その他、諸般の事情も併せ考慮すると、本件事故における亡清秀の過失の割合は八五パーセントと考えるのが相当であり、被告の過失相殺の抗弁はこの限度で理由がある。

8 以上によれば、原告太田清二の損害賠償請求権の額は、亡清秀の逸失利益の二分の一、同人の慰謝料の二分の一、清二本人の慰謝料、葬儀費用を合計した額から、八五パーセントの過失相殺による減額をした額であり、左記のとおり二二〇万四五一六円となる。

{(20,593,555×1/2)+(4,000,000×1/2)+2,000,000+400,000}×0.15=2,204,516

また、原告太田つゑの損害賠償請求権の額は、亡清秀の逸失利益の二分の一、同人の慰謝料の二分の一、つゑ本人の慰謝料を合計した額から、八五パーセントの過失相殺による減額をした額であり、左記のとおり二一四万四五一六円となる。

{(20,593,555×1/2)+(4,000,000×1/2)+2,000,000}×0.15=2,144,516

七 結論

以上の次第であるから、原告太田清二の本訴請求は、金二二〇万四五一六円及びこれに対する事故発生の日の翌日である昭和五二年一二月三日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で、原告太田つゑの本訴請求は、金二一四万四五一六円及びこれに対する事故発生の日の翌日である昭和五二年一二月三日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度でそれぞれ理由があるから、右の限度でこれを認容し、その余は、理由がないからこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用し、仮執行の免脱宣言の申し立てについては、相当でないからこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 安原浩 中谷和弘 古川龍一)

別紙図面1〈省略〉

別紙図面2〈省略〉

別紙図面3〈省略〉

別紙図面4〈省略〉

別紙図面5〈省略〉

別表

年度

工事番号

請負額(単位;円)

工期(昭和.年.月.日)

工種

52年度

5071号

9,610,000

52.5.24~8.31

高欄(笠木363.6m、貫木370.8m、束柱236本、持出支木91本地覆木306.6m)敷板1,182.7m2

5081号

30,000

52.11.8~11.12

仮高欄4.0m、車止めすえ直し7.2m

5082号

60,000

52.11.6~11.12

高欄(笠木3.6m、貫木3.6m、束柱2本)車止めすえ直し3.6m

5083号

140,000

52.11.26~11.30

高欄(笠木7.2m、貫木14.4m、束柱6本、持出支木3本)車止め3.6m、車止めすえ直し21.6m

5084号

150,000

52.12.6~12.7

高欄(笠木10.8m、貫木10.8m、束柱8本、持出支木2本)車止め3.6m、車止めすえ直し14.4m、持出成本1本

計 9,990,000

51年度

5152号

480,000

51.5.7~5.26

橋脚補強基4基

5153号

50,000

51.7.3~7.12

高欄9.9m

5154号

93,000

51.9.26~9.30

敷板11.5m2

5155号

85,000

51.10.1~10.7

高欄(笠木10.8m、貫木10.8m、束柱10本、持出支木3本)

5156号

60,000

51.11.7~11.13

高欄(笠木3.6m、貫木7.2m、束柱7本、持出支木1本)

5157号

1,910,000

51.11.21~12.20

敷板289.4m2、車止め21.0m

計 2,678,000

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